2013年6月30日日曜日

BFWとBMWの関連と歴史

BMWの歴史を調べていて空白の部分が出てきた。
下記は色々な資料から。
 
1916年3月7日  BFWAG設立(AGは株式会社)
1917年 BMWに改称 マックス・フリッツを雇用
19〇〇年 ?
1922年 BFWと合併
1926年 BFW分離
1938年 BFWはメッサーシュミットに改称
 
上記〇〇?部分でBMWからBFWを分離したと思われる。
この部分は本やネットでも検索できない。
 
改めてBMWの歴史を整理してみた。
 
1916年3月7日 航空機・船舶用エンジンメーカーRMWラップ発動機工業(有)と
オットー航空機工業が合併し
BFW AG、バイエルン航空機製造設立。
BMW社自身はこの年をBMW誕生の年としている。
(オットー航空機工業創業者は4ストロークエンジンを発明したニコラスオットーの息子)
 
 
 
 
1917年 BFWは社名をBMWに改称。有限会社。
創業者の一人となるマックス・フリッツを採用。
1917年から1922年の間に航空機製造部門を分離しBFWをを設立していると想像できる。
 
1918年BMWが株式会社となる。
 
 
1920年
 エンジニアのマーティン・ストールがダグラス500のフラットツインエンジンを分解し研究した。
この成果はモーターサイクル用エンジン、タイプ「M2B15」に結実、ニュルンベルクのビクトリアから受注した。
 
ビクトリア

 
ビクトリア

 
1922年
航空機の製造を禁止されタイプ「M2B15」を購入してモーターサイクル「ヘリオス」を生産していたバイエルン航空機製造会社(BFW)と合併しモーターサイクルメーカーとなった。
社名は引き続きBMW。
 
1926年 BFWを分離(再分離?)
 
ヘリオス

 
ここからはBFWの歴史。
 
メッサーシュミットがミュンヘン工科大学で学ぶ間も、
ドイツのグライダーのパイオニアであるフリードリッヒ・ハルト
とともにバイエルン航空機製造(BFW)で航空機の製作を行った。
 
1921年にグライダーS8を製作し、航続記録の世界記録を樹立した。
 
同じ年にメッサーシュミットが単独で設計したグライダーS9を飛行させた。
1923年にハルトから独立し自らの会社、メッサーシュミット航空機製造工場を設立。
 
1927年にはバイエルン州政府の意向でBFWに吸収合併。
これは州政府はBFWに援助をしていた為、BFWの設計人が実績をあげられないのでメッサーシュミットの設計人と入れ替える為の処置を州政府が取った。
合併後も設計は引き続きメッサーシュミットが担当。
 
1928年にメッサーシュミットが設計した軽輸送機M20ルフトハンザで事故を起こし、契約は破棄され、BFWは1931年に破産した。
 
ルフトハンザの社長エアハルト・ミルヒは事故で友人を失い、メッサーシュミットと対立。
 
1933年ナチス政権に帝国航空省が設立されると、
航空省を率いたミルヒはドイツ航空工業の再編を行い、BFWを再建した。
 
メッサーシュミットは資産家の娘と結婚。
BFWの株を購入。株主となる。
 
1938年7月11日にメッサーシュミットはBf108、Bf109の成功によりBFWの支配人となる。
社名もメッサーシュミット株式会社に改められたが、メッサーシュミットは経営的にも優れた才能を発揮した。
 
1938年 BFWはメッサーシュミットに改称。
 
 
社名メッサーシュミットの支配人(経営者)となったウィリー・メッサーシュミット
 
ウィリー・メッサーシュミット
ポチ
 
 
メッサーシュミットは低翼単葉のスポーツ機M37を設計した。これは航空省によってBf108という記号がつけられた。Bf108には先進的な技術が取り入れられ、若き天才としてメッサーシュミットが世界に注目されるきっかけとなった。
 
Bf はBFW時代に開発された機種。
社名がBFWからメッサーシュミットに改称された後に開発された機種はMeになる。
(戦時中ドイツ本国ではMe108、Me109とされていたが
戦後イギリスの意見でBFW時代設計機種はBfと表示するようになった。)
どちらで呼んでも問題は無し。

メッサーシュミット Bf108タイフーン連絡機

ドイツ空軍
アルグス As10C 空冷倒立V型8気筒 270馬力×1基
 
ポチ
 
 1936年には航空省による単座戦闘機の競争試作
メッサーシュミットが設計したBf109が勝利した。

メッサーシュミット Bf109戦闘機

ドイツ空軍
納入前のBf109E(胴体に工場符号が記入されている)
ダイムラーベンツ DB605AM 液冷倒立V型12気筒 1,800馬力×1基
 
ポチ

 

メッサーシュミット Bf110戦闘機

ドイツ空軍
ダイムラーベンツ DB601B-1 液冷倒立V型12気筒 1,475馬力×2基
 
ポチ
 
メッサーシュミット Me163コメート戦闘機
ドイツ空軍
 
ヴァルター HWK503A-1(又はA-2)薬液混合ロケット 静止推力1,700kg×1基
着陸滑走中のMe163B
 
ポチ
 
 
メッサーシュミット Me209試作戦闘機
ドイツ空軍
 
Me209V1 ダイムラーベンツ DB601ARJ 水冷V型12気筒 1,800馬力×1基
(短時間の緊急出力発揮により2,300馬力)
 
ポチ
 
 Me209V5
ダイムラーベンツ DB603G 液冷V型12気筒 1,900馬力×1基
 
 

メッサーシュミット Me210/410戦闘機

ドイツ空軍
ダイムラーベンツ DB603A 液冷倒立V型12気筒 1,750馬力×2基
メッサーシュミットMe210A
 
ポチ
 
 
メッサーシュミット Me262戦闘機
ドイツ空軍
 
ユンカース「ユモ」004B-1軸流ターボジェット 静止推力900kg×2基
(BMWエンジン搭載機種もある)
テスト中のMe262V3(試作3号機)
ポチ

メッサーシュミット

 Me264アメリカ試作長距離爆撃機

 
 

メッサーシュミット Me23ギガント輸送機

ドイツ空軍
 グノーム・ローヌ 14N48/49 空冷星形複列14気筒 1,140馬力×6基
Me323E-2輸送機(第2、第5エンジンを停止させて飛行している)
ポチ




メッサーシュミット P.1101試作戦闘機

ドイツ空軍
ユンカース「ユモ」004B軸流ターボジェット 静止推力900kg×1基
未完成のまま連合軍に押収されたP.1101原型1号機
 
ポチ
 
 
 
1952年にメッサーシュミット社の技師であったフリッツ・フェンド  と業務提携し[1]
フェンドが設計した三輪バブルカーのKR200 カビネンローラー  などバブルカーに小型エンジンを提供した。しかし、自動車部門の採算が悪化したため、1964年にKR200 の生産を中止、自動車から撤退した。
 
メッサーシュミット KR200
 
 
1968年に民間機製造を営んでいたベルコウ と合併し、メッサーシュミット・ベルコウ となって再び航空機製造を開始。
翌年にはブローム・ウント・フォス  の航空機製造部門を吸収し、
 
1969年5月にはハンブルクのHFBからブローム・ウント・フォス (Blohm + Voss) の航空機部門を買収し、再度社名をメッサーシュミット・ベルコウ・ブローム(Messerschmitt-Bölkow-Blohm)と変更した。
 
 1980年フォッケウルフハインケルの後身である Vereinigte Flugtechnische Werke を吸収した。
 
1998年11月7日、MBBは複合企業ダイムラー・クライスラーグループに買収された。
航空機部門は、ダイムラークライスラー・エアロスペース(DaimlerChrysler AeroSpace AG)と名称が与えられた。
 
 
ヨーロッパの防衛連携のため2000年にフランスのアエロシパル・マトラ、スペインのCASA、そしてDASAが合併してEADSEuropean Aeronautic Defence and Space Company N.V.)が創設され、ダイムラークライスラー・エアロスペースは EADSドイツ に社名が変わった。
 
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